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 社長×社員の対談

深田社長(2016年入社)、F課長(品質管理、1998年入社)、T係長(溶融亜鉛めっき担当部署、2011年入社)O係長(電気めっき担当部署、2013年入社)Tさん(物流管理担当、2020年入社)の5名で、深田パーカライジングついて対談を行いました。

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入社当時のお話

>F課長
私が入社した1998年は本当に職人気質の強い会社でした。平均年齢も50歳近かったと思います。先々代の社長の時代です。先輩社員と年齢差がありましたが、よく面倒を見てくれました。仕事終わりに「行くぞ!」って言われて、どこに行くのか分からないまま「はい」と返事をして、飲みに連れて行ってもらいました。その当時と今では情報共有が全く違うと思いますね。工場長がいて、親方がいて、厳しくて。でも面倒見は良くて。夜な夜な食堂で若者が集まって宴会をする、そんな感じでした。

>T係長
自分が入社した2010年頃は自分を含めて10~20代が8人くらいで、あとは40代以上で中堅層が居なかったと思います。年齢が離れていたので結構かわいがってもらいました。溶融亜鉛めっきの職場では、職人経験豊富な先輩たちのご指導は "こうやって"  "感じて" というものが多くて、最初のうちは理解するのが難しくて苦労しました。先輩たちのやり方を見たり考え方を聞いて、自分で経験を積み重ねるうちに先輩たちが何を言いたかったのかだんだん理解できるようになりました。色々な会社さんから注文を受けており、同じ品物の繰り返しではないんです。色々な品物を手掛ける中で共通点を見出したり、品物一つ一つをよく見て自分に記憶させるようにしないといけない。15年経った今でも新しいタイプの品物を手掛けることはあります。経験を重ねたので昔ほど苦労はしなくなってきました。

>O係長
電気めっきの方はT係長の溶融亜鉛の職場ほどの職人気質の職場でもなかったですが、今でこそマニュアル化、作業の標準化が進んできましたが、自分が入社した2014年頃は技術的な指導という意味ではマニュアルのようなものほとんどはなくて口伝でした。先輩がマンツーマンで指導してくれていました。めっきの仕事以外に関しては、今でこそ社内活動が活発ですが、当時は全くなかったですね。会社イベントといえば花見、暑気払い、忘年会くらいでした。今は複数の社内プロジェクトが動いていて活発になりました。社内旅行も10年前にやったらしい?、みたいな感じでした。

>深田社長
私が入社した2016年頃は酸場の柱が酸で腐食していたり設備は老朽化していました。それに社長室がコンテナハウスでした。部署内でのコミュニケーションは活発でしたが、部門をまたいだコミュニケーションはそうでもなかったですね。会社全体に関しては工場長が仕切っていましたね。


会社のビジョン・ミッションについて

>深田社長
私が社長に就任してから、外部コンサルの力を借りて、1~2年かけてビジョンとミッションを作りました。目的はいくつかあったのですが、会社経営を安定化していくためにもう少し規模を大きくしたい。人数が増えてくると、工場長中心のトップダウンはおそらく組織的な限界が出てくる。組織のそれぞれの階層を機能させるようにするには、価値観が共有されていないと各々が違う価値観で動いて上手くかみ合わなくなるのでは、という懸念がありました。これまで会社が91年続けてきている意味というか、先人たちが大事にしてきた精神や哲学のようなものがあったはずで、それを言葉に落とし込もうと思ったんです。マネージャー層を集めて改めてビジョン、ミッションをについて議論して言葉に落とし込んでいきましたね。
 会社のビジョン ”「できない」をみんなと「できる」にする会社”
 会社
ミッション ”知恵を持ち寄りイメージを形にする”
です。みなさんはどう感じましたか?

>T係長
出来る方法をみんなで一緒に考えながら形にしていくってことですよね。後輩指導に関しては、やり方を教えながら自分でも考えてもらってます。後輩がどう考えてるのか時間をかけて知ることが大事かなと。後輩自身が自分なりに咀嚼して整理する。ミッションの”知恵を持ち寄りイメージを形”にするというのも、後輩たちはそれぞれイメージを持っているので、ちゃんと考えを聞いて、しっかりとコミュニケーションをとりながら指導しようと心掛けています。以前はすぐに諦めちゃう人もいたんです。「わからない」「できない」「無理」って。ミッションやビジョンが掲げられてからは、考えながら仕事をする人が増えた気がします。大きな一歩だと思います。

>F課長
わたしはビジョン、ミッションを作るメンバーでした。これまでお客様のお困りごとをどうにか解決しようとやってきた。それを明文化したわけですが、納期や品物に関して頭ごなしに「できない」という社員もまあまあ多かったんですよ。ミッション・ビジョンができてからは、どうやったら出来るかを前向きに検討してくれるように変わってきたと思います。もう一つ、「できる」を”みんな”と「できる」という文言に、”みんな”の中にお客様も含めるようにしようと考えたんです。自分たちの中だけで答えを見つけることにも限界があるので。

>O係長
お二人が話したことと重なってしまうんですが、お客様とコミュニケーションを取りながら納期調整だったり、どうにか解決できる方法を模索するようにしています。困難な要求であっても頭ごなしに「できない」と言われたらお客様がどう感じるか、「ミッション」や「ビジョン」が頭をよぎるんですよ。できる限りやってやろう!って意識になります。

>Tさん
お客様からの依頼や要望を受けて見積もりを出す業務を担当しているのですが、お客様の要望がちょっと無茶だなと思うことでも、現場に考えてもらうように促すと、こういう条件なら可能です、とう風に返してくれることが増えました。みんなビジョンやミッションを意識しているんだろうなと感じます。

>深田社長
どうなんですかね、ビジョナリーカンパニーって、悪く言えば意識高い系な会社みたいな。
でもミッションも何もなく全て社長判断、という社風にはしたくない。一つみんながあるべき姿として共有されて浸透した状態というのは会社としても強くなっていくんだと思います。現場も間接部門もそれぞれやるべきことを前向きに取り組んでいただけたらと。
スタバで見ると店内で働いてる人たち、みんな幸せそうで楽しそうじゃないですか。ああいうのも一つの姿なのかなと思いますよ。
「できない」をみんなと「できる」にしていって、嬉しくないお客様は居ないですよね。喜んで頂いて、我々もできることが増えていく。


働き方について


>O係長
年間休日が増えてきた(現在115日)のと、有休が取りやすい風土なので、プライベートな時間を大事にできる。残業時間も他社と比べたら少ない方だとは思います(平均10時間以下)。いまの若い人は結構休みを取りたい人が多い印象です。昔はどうだったんでしょう?

>F課長
私が2000年頃は年間休日が95日でした。出勤日数でいうと1か月分くらいの差ですよね。昔は土曜出勤ありましたし、GWもカレンダー通りの飛び石で。劇的に休みが増えたのは社長が交代してからです。

>T係長
年間カレンダーを受け取ったときに、真っ先に土曜出勤をチェックしてましたね。

>O係長
土曜出勤した次の週の月曜は体がしんどかった。

>深田社長
年間休日を増やしてきた背景はいくつかあります。一つは人材採用。やはり年間休日数は他社と比較される。もう一つは労働のための時間という意識から、価値を生み出すための時間、という風に社員の意識を変えるところ。限られた時間の中でどう働くべきかという思考に変わる。ちょっと強引にそういう状況を作ってみようかなと。

>O係長
見事に踊らされちゃってます(笑)。

>F課長
昔はものごとを決定する人は社長か工場長でしたが、今は課長クラスまで降りてきました。たとえば物品購入などは課長で判断してますが、昔は違った。そうすると課長が会社全体のことを気にするようになる。課長としては仕事が増えて大変なのですが、全体をみることで効率的になる部分もある。もともと先代社長の頃も、何でも工場長にお任せしてはいけません、というようなことは言われていたんですが、何十年も慣れてきたことはそう簡単に変われなかったんですよね。

>T係長
残業時間に関しては、2011年頃は月60時間近くまで残業していました。仕事が終わるのが21時とかでした。お客様の要求レベルも今と当時とは違うんですが。それから社長が入社してから導入された生産管理システムで納期管理と連動する形で残業時間も調整するようになりました。それ以前はとりあえず20時まで残業すると先に決めて、決めた時間まで仕事をするという感じでした。今は一日の仕事量を見てできるだけ効率的に進める。リーダーをやっていたとき、自分はまだ20代半ば頃だったのとベテラン勢も多かったので、生意気言うなとか言われましたけど、ムダ取りもしっかり進めてきました。その結果、残業時間を短くできたんだと思います。

>O係長
電気めっきの方も、昔は毎日2時間残業とかの日が多かったですね。がむしゃらにやっていたんですが、だんだん効率化できるようなメソッドが確立されていったんだと思います。人が入れ替わっても引き継がれています。残業時間が減ったことで平日もプライベートな時間が増えて趣味に回す時間がつくれるようになりました。



福利厚生・社内コミュニケーションについて

>F課長
みんなにおすすめしたい福利厚生としては、わくわく補助金(「わく補助」)です。4名以上の社員の親睦交流にかかった費用の1/3(上限あり)を会社から補助してもらえる制度ですが、家庭の事情などで会社のイベントに参加できない社員との交流などで活用してますね。土日夜とか平日夜だと小さいお子さんがいたりすると、なかなかイベントに参加できないんですよけど、祝日のランチとかご飯食べに行ったり。

>Tさん
私も同僚と一緒に劇を見に行ったりとかで「わく補助」を活用させてもらってます。

>T係長
自分の場合は整体手当ですね。期末面談の際に社長に提案して制度を作ってもらってもらいました。残業時間が25時間以上の人を対象に費用の半分(上限あり)を会社から補助してもらってます。おかげさまで行きやすくなりました。使ってる人がまだまだ少ない印象なので普及活動もしないといけないですね。

>深田社長
もともと社長に提案するという文化がなかったので、風土づくりから始める必要はありましたね。今では夏場の空調服をどうする、冬場のヒーター服をどうするというのも、自分たちで考えて良いという雰囲気を作って、だんだん意見が出てくるようになってきました。今後は提案の際に公平性とか妥当性、合理性といった部分を十分に吟味されて説明できるようになっていってくれると良いなと思います

>O係長
私はワクチン補助金ですかね、それは会社の福利厚生ではないですが。そういうアナウンスがされるようになってきたのも会社の変化かなと思います。

>F課長
昔は食堂に紙が貼ってあって朝礼で工場長が話すのを聞くような感じでしたが、今では朝礼の場でアナウンスしたいことがある人は自ら手を挙げて話すようになりましたね。今月のスローガンを全社員持ち回りで読み上げたり、朝礼当番を課長で持ち回りにしたりで、人前で話す機会が増えたことも関係しているのかも。昔は月1回の月例会もなかったですよね。全体の集まりといえば年末年始と夏休みの3回くらいでした。

>深田社長
LineWorksも導入しましたよね。もともとパソコンを使わない文化だったので、ネットワーク上にある情報を見に行く人が少なかった。いまみんながスマホを持っている時代なので、スマホならみんなも見るかなと。仕事で使えるチャットとかみんなが抵抗感なく使えるツールがないかずっと検討していました。それでLineWorksを導入してみました。他社さんと比較してみても、よく活用されていると感じます。


今後大事にしていきたいもの

>F課長
お客様が困って深田パーカに相談にきて、新しいお仕事につながるという風にずっとやってきたんですよね。お客様のお困りごとの相談に乗りながら、ともに解決していくという文化は大事にしていきたいなと思います

>T係長
若い人も増えてきたんですけど、やはり職人技という部分が結構あって、他のめっき屋さんができない事、難しいことをやるっていう会社なので、職人気質の良い部分はしっかり残しながら、新しい発想とか新しいやり方に対しては柔軟に取り入れたいですね。

>O係長
お客様との関係を大事にしたいというのもそうですし、マニュアル化とか形に残すことはやりつつも、職人としての根底に綺麗にめっきあげたい、付きにくい素材にもチャレンジするといった職人魂は大事にしていきたいですね。

>Tさん
会社にすごく浸透している、ビジョンとミッションとも関係しているんですけど、会社のメンバーと協力して挑戦していく姿勢を大事にしたいと思っています。

>深田社長
私自身2015年に初めて会社を訪問して当時の部長が「それくらい俺ならやってやるよ!」って工場長に叫んでいた姿が印象的で会社のいい部分だなと思った。「できない」をみんなと「できるにする」会社。それは働く人の誇りでもあると思うんですよ。そこは大事にしていきたいですね。

<完>